私、失敗しないので。。。
米倉涼子さんがここ最近報道を賑わせています。1ファンとして無事にお茶の間に戻ってこられることを祈念します。
米倉涼子さんといえば、そう Dr X
「私、失敗しないので」の有名なセリフ。。。
私なりには下記を再度問いたいです。
「失敗に許可を出せますか?」
以前、そんな問いを投げかけました。
その中で、著名な成功者たちの例を挙げながら、
失敗は「できない」ことではない。
だから、失敗を含めて学びを楽しもう。
そんな趣旨の文章を書きました。
すると、ある方から、
とても率直なフィードバックをいただきました。
「言っていることは分かる。
でも、そんなに割り切れないよね」
「どうせ学ぶなら、
失敗じゃなくて成功から学びたい、
そう思うのが普通じゃない?」
――確かに、その通りです。
ただ、ここに一つ、
見落とされがちな事実があります。
成功には、
理由の説明できない成功が
意外なほど多い。
よく会社で、
「成功事例を共有しよう」
と言われます。
もちろん、
その裏に数えきれない失敗と工夫があり、
乗り越えた結果の成功なら、
学びは大きい。
けれど、
成功した本人に理由を尋ねても、
「正直、よく分からない」
「たまたま、運が良かった」
そんな答えに行き着くことも、
少なくありません。
いわゆる、
結果オーライです。
一方で、
失敗には、必ず理由があります。
どこで判断を誤ったのか。
何を見落としたのか。
どんな思考の癖があったのか。
失敗は、
構造を教えてくれる。
それにもかかわらず、
私たちは失敗を避けようとします。
なぜか。
多くの場合、
理由は単純です。
「失敗すると、叱られる」
叱責、謝罪、反省。
この一連の流れが、
家庭や学校、組織の中で
当たり前のように刷り込まれてきました。
その結果、
失敗=恐怖
恐怖=行動しない
というループができあがる。
「エイヤ」と踏み出す前に、
足が止まってしまう。
今日は、
そのループをほどく話です。
まず一つ目。
恐怖の正体を、正面から見ること。
人は「叱られる」ことを
本能的に怖がります。
けれどこの恐怖は、
人類の歴史を遡ると、
「生きられなくなる」
ことへの恐れから来ています。
飢餓、排除、孤立。
命に直結する恐怖です。
では、
今、私たちが仕事で感じている恐怖はどうか。
冷静に見てみると、
ほとんどが命には関係ない。
私は最近、
不安や恐怖を感じたとき、
それをノートに書き出すようにしました。
「何が怖いのか」
「本当にそれは起こるのか」
問い直してみる。
すると、
ほとんどが
自分の妄想や思い込みだと
気づきます。
そこに、
「生きられなくなる恐怖」は、
一つもありませんでした。
ビビって動かないより、
動かないことで何も起きないほうが、
よほど不健全です。
二つ目。
反省ではなく、内省をすること。
私は「反省」は、
ほとんど意味がないと思っています。
「すみませんでした」
「次は気をつけます」
これで終わってしまうからです。
代わりに必要なのは、
内省です。
かつて、
非常に優秀な友人がいました。
難関大学の医学部に合格した人です。
「どうやって勉強しているの?」
と聞いたとき、
返ってきた答えが印象的でした。
「人は、
一度間違えたところは
同じ思考の癖で、
必ずまた間違える」
だから彼は、
間違えた問題そのものではなく、
なぜ間違えたか、
その思考の癖だけを記録していた
と言うのです。
テスト前に見るのは、
そのノートだけ。
これは、
まさに内省です。
失敗した事実ではなく、
失敗に至った思考を修正する。
ここにこそ、
成長があります。
三つ目。
現状を破る「エイヤ」。
まだやってもいないことを、
失敗するかもしれないと恐れて、
動かない。
それでは、
結果は絶対に出ません。
恐怖の正体を見つめ、
内省で修正点を掴んだら、
あとは踏み出すだけです。
完璧でなくていい。
準備万端でなくていい。
「エイヤ」と動いた先にしか、
次の景色はありません。
失敗を恐れているのは、
失敗そのものではなく、
その先にある
「叱られる自分」や
「否定される自分」なのかもしれません。
けれど、
行動しなかった先にあるのは、
何も変わらない現実だけです。
失敗に許可を出すというのは、
無謀になることではありません。
学び続ける自分に、
許可を出すことなのだと、
今は思っています。
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